子どもたちが過ごす寮 |
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チェンマイ県チェンダウ郡にあるAWC学校建設事業の7校目にあたる学校です。リス族とラフ族の子どもが大半を占めるこの学校には現在377名の生徒がいます。今回の学校建設により教室数が増えたことで、タイ政府より中学校として認定されました。この学校の敷地内には徒歩で通学することが困難な子どもたち168名が過ごす寮があり、なまずや豚を飼うなど、希望の家と同様自給自足の生活を行っていました。元気に学校のグラウンドを走り回る子どもたちは裸足の子が多く、その状況も聞いていたため、AWCでサンダルをプレゼントしました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
頑張って勉強しています |
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落成式の時に披露された舞踊にメンバーもみんな参加しました。細かい足の動きがとても難しかったです。落成式の後にはグラウンドでかけっこやサッカー、ゴム段をしていました。メンバーも挑戦しましたが、子どもたちの跳躍力にはとても敵いませんでした。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ツアーが始まってから初めてミーティングを開きました。どのメンバーも希望の家で子どもたちと一緒に遊んだことが印象深かったようです。また、インペクトで聞いたタイムリーな事件も様々な問題を考えるよい機会となったとの意見もありました。各メンバーが真剣に、自分にできることは何かを考えていました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
メーランカムに到着 |
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AWCが始めて学校建設をした学校があり、カレン族が昔ながらの生活をしている村を訪問しました。いつも移動で使用していたバンでは行かれないような道のりのため、4駆の車4〜5台に分乗しました。バンコクよりは過ごしやすい(また、今年の日本よりも)チェンマイではありますが、クーラーの利いていない車に乗ったメンバーは暑い車内で団扇を扇いで過ごしました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
この日の授業が全て終わり、終礼です |
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お昼休憩では、メンバーが村で必要となる水、メーランカムで行うお菓子作りに必要な牛乳を買って、向かいました。チェンマイシティーからそれほど遠くないにもかかわらず、舗装されていない細い山道を延々と登っていきました。森林以外何もない光景を進んで行くと、突然視界が広がり、深い森の中にメーランカムスクールがありました。村には電話ボックスがあるなど、近代的な部分も見られましたが高床式の竹でできたカレン族の家に住んでいます。特派員報告リンク | |||||||||||||||||||||||||||||||||
子どもたちと自己紹介しました |
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予定よりも遅れて到着したこともあり、早々に子どもたちとのワークショップに取り掛かりました。今年は日本語をタイの子どもたちに教えるために、様々な内容を日本から準備して行きました。まず、自己紹介。ネームカードにお互いの国の言葉で名前を書き、近くにいる子どもたちに自己紹介をして、聞き取れた名前をネームカードに書きました。このネームカードはメーランカムで出会った子どもたちの名前を即座に知ることができました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
アブラハムには七人の子♪ |
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その後、外に出てアブラハムダンスを踊りました。体のパーツを日本語で歌って、動かすため、子どもたちもメンバーも楽しく行いました。ダンスで打ち解けた後は、日本語とタイ語で交互に伝言ゲームをしました。メンバーにとって簡単なはずの日本語も、子どもたちから伝えられてきた言葉が日本語かタイ語かさっぱり検討がつきません。反対に、メンバーが伝えるタイ語も発音が不慣れなために、子どもたちを混乱させていたようです。それでも、小さい子も大きい子も一生懸命がんばっていました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
残念ながら負けたグループは焼き鳥ダンス?なるものをみんなの前で踊るという罰ゲームをしなければなりませんでしたが、とても盛り上がりました。また、日本語とタイ語で「象さん」を歌いましたが、日本語の「象さん」をメーランカムの子どもたちが上手に歌ったのに対して、メンバーがタイ語で歌った「象さん」はひどいものでした。とっても難しいんです。このワークショップを通して子どもたちとの距離も縮んだ気がしました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ホームステイ先の家族と |
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メンバーが二人一組となってカレン族の人々の家にホームステイに行きました。夕飯を終えると数名の子どもたちが私たちを迎えに来てくれました。懐中電灯、水のボトルと毛布二枚をもって出発です。家までの道のりには街灯がないため、懐中電灯を照らして少々ぬかるんだ道を上って行きました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
お客さんも来ていました |
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メンバーが泊まった家々は電気がない家は、電灯やテレビ、冷蔵庫まである裕福な家と、各家庭によって収入の差がかなりあることが翌日メンバー同士の会話の中で分かりました。しかし、どの家庭でもメンバーはコミュニケーションをとるためにタイ語の本とジェスチャーを使って様々な話題について話すなど楽しく過ごせたようです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
『ホームステイ』 ホームステイの当日は私が泊まった家の両親が作物の収穫に出かけていていましたが、それでも家の中には6人の家族や親戚がいて、賑やかに話をしていました。日本では広い家の中、一人部屋で各々違うテレビを見ていたりするのに、それと比べて、なんと豊かな生活なのだろうと思いました。「貧しい」「豊か」なのではなく、「多様」なんだと実感しました。 |
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腕の見せどころ! |
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この日はメーランカムスクールで少し早い母の日の式典が行われました。タイの母の日8月12日は王妃の誕生日をお祝いする日でもあります。式典には生徒のお母さんたちが何キロも歩いて学校にやってくると聞き、お母さんたちに配るために、学校にあったオーブンを使ってメンバーみんなでカップケーキを作りました。しかし、オーブンには肝心の鉄板がないため、主婦メンバーが試行錯誤して、アルミホイルから見事鉄板を作り上げ、無事にカップケーキを作ることができました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
カレン族の鮮やかな衣装に |
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いよいよ式典の始まりです。カレン族の鮮やかな衣装に身を包んだお母さんたちが、会場を埋め尽くしています。メンバーは何が行われるのかと、ワクワクして舞台を見ていると代表の生徒たちが着飾って舞踊や演奏を披露してくれました。そして、しばらくすると名前を呼ばれたお母さんたちが前に現れました。優秀な成績を修めた子どもたちのお母さんが表彰されていきました。その後、舞台の上に表彰されたお母さんと子どもたちが上がり、子どもはお母さんに感謝の意を込めて深々とお辞儀をしました。お母さんたちはねぎらいの言葉をかけたり、抱きしめたり、ミサンガのようなものを子どもの腕に付けてあげていました。見ているメンバーも心が温かくなるほど母と子の絆の強さが感じられました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
感謝を込めてお辞儀する子どもたち |
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さて、早朝に作ったカップケーキですが、会場のお母さん全てに配られました。はたして口に合ったのでしょうか?みんな恐る恐る食べていました。 そうした楽しい時間もいよいよ出発の時間が近づいてきました。メンバーは子どもたちと遊んだり、写真を撮ったり、ここでも別れを惜しんでいました。しかし、ひどい雨が降り始めたこともあり、渋々車に分乗してメーランカムの村を後にしました。 |
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今回コーディネーターをしてくれている方が活動しているグルムアーサーを訪問しました。チェンマイやメーサイにいるストリートチルドレンの救済活動をしています。家庭内の問題を抱え繁華街で生活する子どもや山岳民族で家族とともに町へ移動して物乞いをさせられる子どもなど背景は様々です。ストリートチルドレンの中でも問題となっているHIV/AIDSや麻薬に対する正しい知識を伝えるために、グルムアーサーではライフスキルトレーニングを展開していました。スタッフの方が美術の勉強をしていたということもあり、子どもたちは絵画を行うことで子どもたち自身が自信をもてるように、また、心の奥に潜む問題が表されるそうです。メンバーもストリートチルドレンの問題に非常に関心を持っていたため、質問が活発に出ていました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
グルムアーサーの壁に貼ってある |
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小さな村の中にも貧富の差があることや、家族みんな一緒に暮らしていることなど、メーランカムでの印象について意見したメンバーが多かったです。メーランカムの子どもたちはシャイで控えめだと聞いていましたが、AWCボランティアの方が今年の6月から村に入って活動してきたことで、子どもたちとの信頼関係が築けているから、思っていたよりもコミュニケーションが取れやすかったのだという意見がありました。 特派員報告リンク |
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これが足つり踊りです! |
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山岳民族の女性を対象に、買春の被害から保護し、教育・職業訓練などを通して誇りと自信を与え、自立支援を行っているNGO団体。ここは緊急支援を要する子どもに対して避難場所となっています。また、人身売買の被害に遭った 子どもたちを村に戻す活動もしています。職業訓練を受けた子どもたちは町での仕事を探しますが、国民証がないため、よい仕事に就けないという現状があるそうです。 |
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『陽気な人々』 どこでも踊りに参加できる今年のメンバー。例年よりノリがいいなあとの意見もあったようですが。ここでも、子どもたちが舞踊を披露してくれたのですが、メンバーも挑戦した踊りでは通称「足つり踊り」というものがあり、何も知らないメンバーは3〜4人で輪になって子どもたちに言われるがまま片足を組み合わせて、もう片方の足のみでピョンピョン跳ねながら手をたたいて踊りました。片足だけで跳ね回るこの踊り、本当に足がつりそうでした。 |
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揚げた麺がトッピングされています。 |
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北タイ名物のカオソーイを食べました。カレー味の麺で、辛さもほどよく、比較的さっぱりとしていてとてもおいしかったです。チェンマイに行った際にはぜひぜひお召し上がり下さい。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ご寄付のキルトをプレゼント |
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2002年7月7日にチェンマイに開設されたHIV感染者とAIDS患者のためのシェルターです。タイでは感染者や患者、その家族を地域がサポートするという考えが基本にありますが、何らかの事情で家族が看病できない人や差別により地域に住めない人が入寮しています。お話を伺ったスタッフの方からは、バーンサバーイは患者の人生最期を見届ける場所ではなく、いつの日か自立していけるために準備をする場所なのだと説明して下さいました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
現在AIDSの薬が日本では20種類あるのに対して、タイでは8種類しかなく、自分たちに合う薬を探すことがとても大変なのだということでした。というのも、薬を飲むことでかえって体に悪影響を及ぼす恐れがあるからです。バーンサバーイのスタッフがAIDS患者を抱えた老人と幼い子の家庭に入って、患者の世話が全くできなかった家族に代わって身の回りのお世話をして最期を見届けたというお話など、タイにおけるHIV/AIDS問題についてメンバーも衝撃を受けていました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ばんそうこうは箱から出してばら売りされていました |
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メーランカムで学校の保健室を見て、薬品や器具の不足を知った、看護士資格のあるメンバーが医薬品の必要性を感じ、メーランカムに医薬品を贈ることを提案しました。村には医者もいないため、病気になった時には山を降りて近くの町まで行かなければなりません。医薬品は消耗品なので、今後についてどうするのか、また、手当ての仕方について指導していく必要性についても課題です。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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